さよなら羊蹄丸
お台場の船の科学館が閉館し、青函連絡船羊蹄丸は解体されると聞いて、お別れに行ってきた。羊蹄丸は無償譲渡の方針になって、35件の引き合いがあるそうだけど、行き先はまだ発表されていない。
船の科学館から見た。外観はほぼ往時のまま。
私が初めて乗った青函連絡船がこの羊蹄丸だった。1981年8月7日。函館から青森への航路だった。僕は当時、中学生。大沼公園で開催されたスポーツ合宿の帰りだった。行きは飛行機。いや、本当は往復とも飛行機の団体旅行だったんだけど、鉄道好きの僕はわがままを言って、一人だけ列車と青函連絡船を乗り継いで帰った。
次の青函連絡船の乗船は1983年9月26日。演歌のように上野発の夜行列車を降りて乗り継いだ。この時もなぜか羊蹄丸だった。
船の科学館から見た。外観はほぼ往時のまま。
私が初めて乗った青函連絡船がこの羊蹄丸だった。1981年8月7日。函館から青森への航路だった。僕は当時、中学生。大沼公園で開催されたスポーツ合宿の帰りだった。行きは飛行機。いや、本当は往復とも飛行機の団体旅行だったんだけど、鉄道好きの僕はわがままを言って、一人だけ列車と青函連絡船を乗り継いで帰った。
次の青函連絡船の乗船は1983年9月26日。演歌のように上野発の夜行列車を降りて乗り継いだ。この時もなぜか羊蹄丸だった。
正直に言うと、私は羊蹄丸という船名にがっかりした。鉄道雑誌に登場する連絡船は十和田丸や八甲田丸で、その船名は上野発の夜行急行列車とおなじ名前だった。私も十和田丸か八甲田丸に乗りたかった。
羊蹄丸の羊蹄の意味がわからなかった。そして色も気に入らなかった。クリーム色とエンジ色で、どうもはっきりしない暖色だ。青函連絡船というと、なんとなく白と青というイメージだった。
のちに羊蹄山が蝦夷富士と呼ばれる北海道の代表的な山だと知り、羊蹄丸は「海の新幹線」と呼ばれる高性能船と知って、羊蹄丸を見なおした。しかし皮肉なことに、次の機会、国鉄最期の日に往復した青函連絡船は羊蹄丸ではなかった。行きが八甲田丸で、帰りが摩周丸だったと思う。
懐かしいようなそうでもないような、そんな羊蹄丸がお台場に来た時はビックリした。見に行こうという気は起きなかった。近いからいつでも行けるという気持ちもあったし、やっぱり羊蹄丸への思いが高まっていなかったんだろう。
だけど、羊蹄丸で過ごした船旅は覚えている。カーペット桟敷でごろ寝して、ゆりかごのようなかすかな揺れを感じながらまどろんだり、ゲームコーナーで遊んだり。食堂で「海峡ラーメン」も食べた。魚臭くて泣きそうだった。
そんな当時を思い出そうと思って、お台場に行ってみたんだけど……。
艦内はすっかり改造されてしまい、当時の船旅を懐かしむ要素はなかった。田舎の客寄せ蝋人形館みたいになってた。当時の桟橋界隈を再現って言うけど、いつの当時なんだろう。私はこんな風景を見たことがない。青森駅前にりんご屋がズラリと並んだ様子は覚えている。でも、こんなんじゃない。
青森駅に到着した急行津軽。スハ44はひとむかし前だなあ。私が乗った時は12系か14系だった気がする。
なんなんだこいつら(笑)。
半端に置かれたDE10。手前は食堂を再現。レジスターが古くて懐かしかったけど……。
食堂は面影が残ってた。私が海峡ラーメンを食べた場所は、奥の窓際のテーブルだった。
カーペット桟敷風の場所。荷物入れはこんなのがあったような。
艦橋に入れたけど、当時は入れなかったから懐かしいという場所じゃない。
ほかに当時の面影がありそうな場所は乗船口くらいかな。
なんだかモヤモヤした気分で帰った。
カーペット桟敷に寝そべって、当時の旅を懐かしみたいという希望はかなわず。懐かしむなら青森駅そばの十和田丸のほうが良かったな。この羊蹄丸はもはや青函連絡船じゃないし、保存したとは言えない。外側だけを残して再利用しただけだった。こんな風になっちゃったら、もう残さなくてもいいや。
ところで35件の引き取り手は、この船をどうしたいんだろう。
当時のまま保存されている南極観測船宗谷に比べると、歴史的価値もないよなあ。蝋人形館も青森以外の人にはピンとこないだろうし。映像を使った水族館モドキも、寂れた旅館のゲーセンみたいだったし。
朝: 293.0kcal ヤマザキ塩豚肉まん トマトジュース
昼: 477.0kcal カボチャ煮90g コストコピザ2/16 生ハム12g
夕: 417.0kcal シャウエッセンスープ 豆腐300g 醤油大さじ1
他: 0.0kcal
合計: 1187.0 kcal 摂取残313.0 月間合計: 44727.8 月間平均1597.4
お昼は冷凍しておいたコストコピザ。16分割を2つ。生ハムを載せて焼きました。夕食は昨日のシャウエッセンスープ。冷奴にはご近所さんから頂いた茗荷を2コ分使った。うまかったー!
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