新・汽車旅日記 100
第1回から読んで頂くとわかるように、この鉄道紀行文は『時刻表2万キロ』、『最長片道切符の旅』などの名著を残した宮脇俊三先生へのオマージュ、というか粗悪な模造品です。宮脇氏ほど人生経験もないし歴史の知識もない。淡々と車窓に映った風景を書きつづっているだけ。宮脇氏より優れていると言えば、風景が平成時代になっていることくらいでしょうか。宮脇氏を昭和紀行とするなら、勝負どころは平成紀行かな、というわけで、サブタイトルに“平成ニッポン”が入っているわけです。だからITっぽい話、映画、ドラマなどの話題を意識して入れるようにしています。あとは色、音とかに気を配っているけれど。
どんなに頑張っても、宮脇氏には追いつけません。だから私が宮脇俊三の後継者だ! などと語るつもりもありません。しかし、その一方で、宮脇文学の粗悪な模造品のままでいいのか? という疑問も感じています。雑誌で鉄道紀行を書く人は他にもたくさんいるし、ブログブームの前からWebサイトで紀行文を発表している人もたくさんいます。自分はそんな人たちより特に秀でているわけでもないのに、機会を与えられて、オフィシャル色の強いサイトで人目に晒して良いんだろうか……。そんな私のモヤモヤした気持ちをラクにさせてくれた文芸の分野がありました。
ハードボイルドです。
ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーが確立させた『ハードボイルド』という分野。ここには他の分野と決定的に違う性格があります。現代のハードボイルド作家たちのほとんどが、堂々と「私はチャンドラーを愛読している」とか、「ハメットに心酔した」などと主張しています。原リョウ氏などはエッセイで、「チャンドラーの和訳を手元に置いて、セリフの文字数の参考にした」なんて書いていますし、船戸与一氏との対談で、自分たちをチャンドラー派、ハメット派、なんて分類している。そういうことって、他の分野には無いんじゃないかな。私は、作家にとって大切なことは、自分の文体や物語の組み立てのオリジナリティだと思っていましたが。
しかし、ハードボイルドの世界では、そんな作家たちを読者も受け入れている節がある。日本のチャンドラーは誰か? とか、この人はハメットが好きな人だから、似たようなストーリーを楽しめるな、とか。作者のプロフィールにチャンドラーやハメットの名があると安心する、という感じで。作家も読者も先人をブランドとして扱っている。ハードボイルド好き同士が信頼するブランドです。私は日本のハードボイルドが好きですが、海外作品を読まないので、かなり客観的に見ています。だからチャンドラーのブランド化がおもしろいと思えるのかも。あ、この「チャンドラーのブランド化」は、文学という感性商品の研究テーマとしておもしろいなあ。もう大学院なんてこりごりだけどね(笑)。きっとすでに文学部の学者さんがやってるだろうし。
話がそれました。で、私が何を言いたいのかというと、「私は宮脇俊三に心酔している。だから宮脇文学を模倣している。文句あるか?」 というスタンスで良いんじゃないかなー、と。開き直っちゃえと(笑)。「やーい真似ッコー!」、「はーい真似ッコでーす」みたいな。私のファンになってください、ではなくて、宮脇ファンに読んでください、というノリで。
宮脇俊三氏の紀行が読みたい。だけど彼は他界してしまった。次の宮脇俊三氏は誰だ? そうではなくて、ほんとうに心酔しているなら、読みたいものを自分で書くしかない。きっと、そういう境地がハードボイルドの世界を作っているんだと思います。だから、こういう鉄道紀行を書く人がもっと出てくればいい。私も読みたい。旅の記録を文章で残すっていいですよー。写真だと見て終わりだけど、書くと、もう一度旅した気分になります。旅程作りで楽しみ、旅を楽しみ、記録を楽しむ。旅は3回しゃぶり尽くせます。そうやって、みんなで鉄道紀行文学を盛り上げていきましょう。
COMMENTS
昔ね、ひとりで羽咋からずっと外浦を歩いたのだ。
ひたすら毎日歩いて。
あんな旅、もうなかなかできないね。
さて、次はどこを目指そう。
何がきっかけなんでしょうね。
興味ありますねー。
ミステリー小説のネタとして……ぉぃ
えーっと、まだ人生に疲れてない中学生の頃ですってば。
外浦の道路は案外海岸に面してないのよ。
それにしても、毎日30kmとか40kmとか
平気で歩いてたなあ。
ミステリー小説のネタにもなんなくてごめんね。
すぎやまさんも歩く?