ダビンチ・コード
キリスト教を批判し、神を冒涜するとして物議を醸している映画『ダビンチ・コード』を観ました。宗教云々はともかくとして、エンタテイメント作品として面白かったです。2時間半以上という長時間の作品ですが、途中でダレることなくスクリーンに引き込まれました。
その一方で、こういう宗教の扱い方はまずいんじゃないかなあ、と思い、そして今は"エンターテイメントの力ってすごいな"、と思った。有り体に言えば"フクザツな気持ち"ってヤツですね。
以下、ネタバレ含むかも。
その一方で、こういう宗教の扱い方はまずいんじゃないかなあ、と思い、そして今は"エンターテイメントの力ってすごいな"、と思った。有り体に言えば"フクザツな気持ち"ってヤツですね。
以下、ネタバレ含むかも。
美術館で起きた殺人事件が、実はキリスト教の対立宗派による抗争だった。という話。キリストのヒミツを長年にわたって守り続けたシオン修道会と、そのヒミツを社会から抹消し、バチカンの威厳を保とうとする宗派オプス・ディ。
容疑者にされた学者と、被害者の孫は、事件の謎を解くために被害者の暗号を解き、その示す方向に進んでいく。そして彼らもオプスディに命を狙われる。脇役たちがオプスディかシオンか解らない、という部分に緊張します。
キリスト教信者にはショックだろうな、という部分が多数。西洋史上の残酷な事件のほとんどがこの抗争に起因していた。しかも、抗争はいまも続いている。そこにこの物語の怖さがあります。
シオン修道会やオプスディは実在します。これは映画を紹介するテレビでやってた。オプスディ広報のきれいなおねーさんは一部の自虐的な行為をする信者の存在を認めていました。でも、なんかピンとこないんだよなあ。
宗教観の薄い日本人なら、こういう例えなら解りやすいかも。
「現在の天皇家は武将の策略によってすり替えられた一族で
本当の天皇家を継承する人々は他にいる。
その暗号は、安藤広重の東海道五十三次の絵のなかと、
松尾芭蕉の俳句に隠されていた!」
うわ、こりゃーびっくりだ。こういうことなんですよ。
でもね、このストーリーだったら、架空の世界、架空の宗教でも描けたと思います。でも、架空だと普通のファンタジー作品になっちゃうのかな。ていうかこのストーリーだと平凡すぎて盛り上がらないかも。架空だと歴史観など背景の説明が必要だけど、キリスト教は誰でも知ってるしね。
映画で紹介されているダビンチの謎は、実は原作の小説が発出ではなくて、過去にいろいろな人がこのエピソードと絡めてキリスト結婚説を発表しています。そうした人々の主張と信仰のおかげで、近年、バチカンはマグダラのマリアの汚名を撤回したそうです。いろいろな説を有機的に結び、エンタテイメント作品にまとめた。しかもきれいに終わってる。その手法がすごい。
私は宗教を持っていないし、宗教自体も良くできたサービス業としか思っていないんです。そういう宗教ノンポリにとっては、キリスト教に対する味方が変わっちゃいますね。イスラム過激派がテロやったり、カルト集団が狂気事件を起こしたりするけど、昔はキリスト教も似たようなコトしてたんじゃねーの。というね。キリスト教はマトモだと思ってたのに違ったなー、みたいな。
で、学者たちがキリスト結婚説を唱えている間は黙殺したキリスト教のえらい人たちも、小説や映画で世間に広まると慌てちゃったみたい。ということは、エンタテイメントのチカラってすごいんだねぇ。ってことかな。
容疑者にされた学者と、被害者の孫は、事件の謎を解くために被害者の暗号を解き、その示す方向に進んでいく。そして彼らもオプスディに命を狙われる。脇役たちがオプスディかシオンか解らない、という部分に緊張します。
キリスト教信者にはショックだろうな、という部分が多数。西洋史上の残酷な事件のほとんどがこの抗争に起因していた。しかも、抗争はいまも続いている。そこにこの物語の怖さがあります。
シオン修道会やオプスディは実在します。これは映画を紹介するテレビでやってた。オプスディ広報のきれいなおねーさんは一部の自虐的な行為をする信者の存在を認めていました。でも、なんかピンとこないんだよなあ。
宗教観の薄い日本人なら、こういう例えなら解りやすいかも。
「現在の天皇家は武将の策略によってすり替えられた一族で
本当の天皇家を継承する人々は他にいる。
その暗号は、安藤広重の東海道五十三次の絵のなかと、
松尾芭蕉の俳句に隠されていた!」
うわ、こりゃーびっくりだ。こういうことなんですよ。
でもね、このストーリーだったら、架空の世界、架空の宗教でも描けたと思います。でも、架空だと普通のファンタジー作品になっちゃうのかな。ていうかこのストーリーだと平凡すぎて盛り上がらないかも。架空だと歴史観など背景の説明が必要だけど、キリスト教は誰でも知ってるしね。
映画で紹介されているダビンチの謎は、実は原作の小説が発出ではなくて、過去にいろいろな人がこのエピソードと絡めてキリスト結婚説を発表しています。そうした人々の主張と信仰のおかげで、近年、バチカンはマグダラのマリアの汚名を撤回したそうです。いろいろな説を有機的に結び、エンタテイメント作品にまとめた。しかもきれいに終わってる。その手法がすごい。
私は宗教を持っていないし、宗教自体も良くできたサービス業としか思っていないんです。そういう宗教ノンポリにとっては、キリスト教に対する味方が変わっちゃいますね。イスラム過激派がテロやったり、カルト集団が狂気事件を起こしたりするけど、昔はキリスト教も似たようなコトしてたんじゃねーの。というね。キリスト教はマトモだと思ってたのに違ったなー、みたいな。
で、学者たちがキリスト結婚説を唱えている間は黙殺したキリスト教のえらい人たちも、小説や映画で世間に広まると慌てちゃったみたい。ということは、エンタテイメントのチカラってすごいんだねぇ。ってことかな。
COMMENTS
バラとユリってホモとかレズとかの象徴にもなってるけど、関係ないのかな。