まだドラマは終わらない。
「日本? FPSが流行ってないんだろ」
「情けない戦いぶり」
「彼らは何をしに来たんだ」
「こんな奴らの国なんて、もう一度原爆落とした方がいいぜ」
e-Sportsの世界大会CPLに日本代表が参戦し始めたときの、海外プレーヤーからの罵詈雑言を思い出す。日本では最強という自負のあった代表選手たち。結果は初戦敗退。セガ・ニンテンドー・ソニーの発祥の国からやってきた選手たちに興味を持つ観戦者も多かった。しかし、勝てなかった。ライバルの選手たちから、日本はたいしたことないんだな、と思われた。それが2003年。2年前のことだった。
「情けない戦いぶり」
「彼らは何をしに来たんだ」
「こんな奴らの国なんて、もう一度原爆落とした方がいいぜ」
e-Sportsの世界大会CPLに日本代表が参戦し始めたときの、海外プレーヤーからの罵詈雑言を思い出す。日本では最強という自負のあった代表選手たち。結果は初戦敗退。セガ・ニンテンドー・ソニーの発祥の国からやってきた選手たちに興味を持つ観戦者も多かった。しかし、勝てなかった。ライバルの選手たちから、日本はたいしたことないんだな、と思われた。それが2003年。2年前のことだった。
しかし、日本のゲームプレーヤーたちは、その悔しさを糧に、勝つために本気になった。Team 4 Dimension。自主的に合宿生活を過ごし、自費でアメリカ遠征を目指した。2004年。日本代表としてアメリカへ。本戦トーナメントでは勝てなかった。しかし、トーナメント開催1週間前に現地入りし、海外チームと積極的に練習試合を戦った。練習試合とはいえ、強豪と噂のチームに勝った。最強のチームとも戦った。勝てなかったけれど、彼らの"本気"は伝わった。e-Sportsニュースサイトから、侮蔑的なコメントが減り、応援するメッセージが増えていった。「来年、また会おう……」。
そして2005年。Team 4dN Psyminが誕生。ゲーム仲間が会社を興し、スポンサーになってくれた。全員が東京で合宿。大阪で開催された日本予選は、海外のe-Sportsメディアも関心を持った。日本予選優勝。
そして7月。ダラス。CPL本戦。第1試合に勝った。日本人選手の勝利は4年ぶりのことだった。第2試合は敗北。敗者復活にかけた。そして2連勝。ベスト12に入った。賞金750ドルを獲得。CPLで日本代表が初めて入賞した。次の試合に負けたため、ここで日本代表のCPLは終わった。敗北は悔しいだろう。しかし、いままでのような1敗だけ、という結果と、3勝1敗、という結果は違う。
この日、日本のe-Sportsは世界のレベルに追いついた。
もはや表彰台は遠い夢ではなくなった。
次がある。その次もある。いつかきっと……。
ありがとう4dN。がんばれ日本。
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