オフレコの仁義
政府高官のオフレコ懇談会の発言が報道され、官房長官が実名をバラしちゃった。そしたら新聞やテレビの記者たちも「政府高官は副官房長でしたー」って報道を始めたという話。おいちょっと待て。お前らそれはないだろうと。オフレコで聞いた話ならオフレコで通すのが仁義ってもんでしょ。仁義というか、大人として約束は守らなくちゃいけないと思うんだ。例え政府側がバラしたとしても、「いいえ僕らは知らないし名前は聞いてない」と「政府高官」で押し通す。それが記者の仁義、粋ってもんじゃねぇんですかね。
私もインタビュー取材などで「ここはオフレコで」と言われることがありますよ。書いちゃいけないなら言わなきゃ良いのに、と思うけどね。話者としては、理解してもらうための前提として、書いて欲しくないけど解ってもらいたいことがある。あと、話していく思考回路を整理するために、言わなくて良いことなんだけど言わないと話が組み立てられないってこともある。取材ってね、そういう共感の上で成り立つ部分があるからね。
ゲームの話だと「あるキャラクターが不自然な消え方をするんだけど、それは続編で再会するため。それをバラしちゃったらつまんないから、その不自然さについては書かないで」みたいなことはしょっちゅうあるわけだ。私の場合、ここからオフレコと言われたらICレコーダーを止めちゃう。書けない話は記録しても仕方ないから。それと、録音を止める操作で相手に安心してもらうためでもある。
あと、話者が他社の批判をすることもある。でもそれは他社を攻撃する意図ではなくて、自分のスタンスを明確にするためだったりする。私はそのオフレコ部分で「そういう考えを持っている人なんだ」と理解して、記事の雰囲気を考慮したりする。オフレコの約束を守るってのは、取材相手との信頼関係を築くこと。オフレコの約束を守れる記者は信用してもらえて、さらに深い情報を扱えるようになる。信頼されると言うことは、相手に媚びることとは全く違うことなんだよね。
政治記者の世界のオフレコと私の世界のオフレコは意味合いが違うらしい。私のほうは、オフレコと言ったら書いちゃダメなの。でも、政治の世界では、名前さえ隠せば書いて良いってこと。そんなにゆるくしてもらってるなら、せめて名前を伏せるくらいのことは守って上げるべきだと思うよ。話者だってリスクを承知で話してくれたんだから。要するに、オフレコ破りをする記者は人として信頼できるのかってことなんだ。
で、何が言いたいかというと、政治記者には粋な奴がいないんだな、と思いました。そんな記者が書く新聞なんか信用できないよーだ。
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