もうすこし、あとすこし
先月の28日。佐賀県の伊万里駅を訪れました。1984年以来、約23年ぶりです。駅はすっかり変わっていました。この駅はJRの筑肥線と第三セクターの松浦鉄道の列車が発着します。ふたつの路線は道路を挟んで向かい合っていますが、両線とも国鉄に所属していた頃はひとつの駅でした。なんで分断させてしまったのでしょうか。韓国と北朝鮮の鉄道でさえ、ようやくつながったというのに。いくら相互乗り入れの予定がないとしても、乗り換えは不便です。もっとも、乗換えを考慮したダイヤにはなっていなくて、伊万里駅では2時間も待ち時間がありました。
「列車をご利用の方どうぞ」駅員さんの声がします。田舎の駅、とくに列車本数の少ない有人駅では、改札の時間が決まっています。列車の準備ができるまで、お客さんは待合室に待機するんですね。だから地方の大きな駅は広い待合室があります。もっとも、伊万里駅は小さくて、待合室といってもベンチが4つの吹きさらしでしたが。
見渡したところで待合室にいた客は私だけでした。切符を駅員さんに見せて、改札口を通り抜けようとしたら、改札の横に新聞の陳列台がありました。この駅は売店がないので、改札口で新聞を売っているようです。スポーツ新聞の派手な色使い。ふだんは素通りするけれど、その見出しに私は思わず足を止めました。
「坂井泉水転落死−がん闘病中」
「これ、今日の新聞ですか」と駅員さんに聞きました。初老の駅員は「そうです」と答えました。私は彼に新聞代を渡して列車に乗りました。熱心なファンというわけではありませんが、ZARDのCDはいくつか持っています。フレーズを覚えている歌もいくつかあります。友達や恋人から励まされるような歌がありました。私の知らない女性の感性を教えてくれる歌もありました。彼女が私と同じ年だったことを、この記事で知りました。病床にいたことも、再起のために努力していたことも書いてありました。
現場はスロープだったそうです。肺の痛みを堪えて「もうすこし、あとすこし……」きっと彼女は自分の歌に励まされながら歩いていたのでしょう。彼女は仰向けに倒れていたそうです。その目にはどんな空が映っていたのでしょうか……。
それから一ヶ月たちました。テレビはファンのために開かれた音楽葬を中継しています。その様子を見て、ローカル線のディーゼルカーで、どんよりとした悲しみに浸ったあの日を思い出しました。またひとり、大切な人を失いました。去り行く人から受け取ったものを、私たちはどうにか自分の中に取り込んで、生きていく糧にしなくてはいけないと思います。それは「自分が去り行くときに、何を残していけるか」というテーマでもあるわけで。
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