常識を疑え!
皆さんは学校でこんなことを学びませんでしたか?
「明治政府は近代化を進めるために全国に鉄道を敷設しました。しかし、農村では機関車から出る火の粉や灰や煙がが作物に良くない」と反対され、宿場町では「駅ができると歩行する旅人が減って商売にならなくなる」と反対されました。その結果、鉄道は予定とは違い、街から離れた場所に作られました。
品川駅は港区にある。目黒駅は品川区にある。どちらも地元の反対でえきの場所が予定とは違う場所に作られたため。
僕もこの説を信じていました。そういう記事を鉄道ネタで書いたかもしれない。ところがこの説、事実ではなかったのです。
うきゃー! 全国の鉄道ファンや歴史学者たちが騒然としました。
うーん、言わば、鉄道趣味界の「ダ・ビンチコード」です。
実は、歴史的資料を探すと、当時の鉄道の誘致運動に関する資料は数多く残されていましたが、鉄道に反対する運動に関する資料はほとんどなかったそうです。
もともと鉄道は土地の高い町を避けて計画されたし、旧街道筋は勾配がきつく、鉄道建設には適さなかった。つまり、宿場町への鉄道建設はもともと計画されていないのだから、反対運動など起きるはずもなかった。都市部に鉄道を敷く場合は反対運動があろうと無かろうと強引に建設された。それが明治政府の力だったのです。当時の日本は富国強兵の方針だった。
どこにせよも鉄道忌避運動はありえない。これが真相。
中央線が長い直線区間となっている理由も、そのほうが鉄道に適していたからで、甲州街道筋の小さな宿場町などは、初めから想定外だったらしい。唯一、青梅街道の馬車鉄道は反対運動で頓挫している。理由は馬の糞尿が垂れ流しだったからだ。どうやらこれが現在の中央線直進ルートに関連付けられて、鉄道忌避伝説の始まりとなった可能性は高い。本書には鉄道忌避伝説で知られる場所に着いて、丁寧に反証を試みている。どれも納得できる内容だ。
僕のような実績の無いライターが同様の本を出したらトンデモ本扱いされて終わりかもしれないけれど、執筆者は東京大学名誉教授で東京学芸大学名誉教授、歴史地理学会会長の青木氏、というより、鉄道ジャーナルなど鉄道趣味誌で数々の論文を発表している青木さんだから信憑性はかなり高いわけで。
鉄道忌避伝説を信じると、鉄道史を間違って解釈してしまうかもしれない。というわけで、今後私は鉄道忌避伝説は無いものとして生きていこうと思います。
いやーそれにしても、世の中には間違った常識が他にも多そうだ。前に紹介した放送禁止歌もそうだったし、北方領土とかね、靖国とかね。ちゃんと調べてからモノ言わないと恥ずかしいことっていっぱいありそう。
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